奈良地方裁判所 昭和55年(ワ)241号 判決 1984年8月24日
原告 河本義雄
<ほか一名>
右原告両名訴訟代理人弁護士 吉田恒俊
佐藤真理
被告 近畿日本鉄道株式会社
右代表者代表取締役 上田善紀
右被告訴訟代理人弁護士 滝本文也
被告 国
右代表者法務大臣 住栄作
右指定代理人 高田敏明
<ほか一〇名>
主文
一 原告らの被告両名に対する本訴各請求は、いずれもこれを棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、原告らに対し、各自金八五七万九九三一円及びこれに対する昭和五五年二月二六日より完済に至るまで年五分の割合による金員を各支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する被告両名の答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
原告義雄と原告裕子とは夫婦で亡河本賢治(以下、亡賢治という)の父母であるところ、亡賢治は昭和五五年二月二五日午前一一時二五分頃、奈良市西大寺国見町一丁目一番一号近鉄西大寺駅東方約六〇〇メートルの被告近畿日本鉄道株式会社(以下、被告近鉄という)の軌道敷内(以下、本件事故現場という)において、瀬川義彦運転の近鉄奈良線奈良発難波行準急電車(以下、本件事故車という)にはねられ、頭蓋骨多発骨折の重傷を負い、その結果、同月二六日午前八時二五分頃、堺市向陵中町医療法人清恵会病院で、脳挫傷により死亡した(以下、本件事故という)。
2 本件事故現場及び付近の状況
(一) 本件事故現場を含む近鉄奈良線の西大寺駅と新大宮駅との間には、被告国が所有し、奈良国立文化財研究所が管理する史跡平城宮跡が存在するところ、右近鉄線はこの平城宮跡の南部をほぼ東西に横切るような形で設置されている。ところで、本件事故現場の約一〇〇メートル西側には整備されたグランドがあり、その約二二〇メートル南側には平城宮跡の入口があり、その入口の約一〇〇メートルのところから住宅地がつらなり、又、事故現場の約三〇〇メートル東側には大極殿跡の整備した地域があって、線路の南北に整備用構内道路がほぼ東西に走っている。
(二) 右住宅地と宮跡との間には、本件事故当時何らの柵や立看板はなく、住宅内道路から宮跡内には通路が続いており、そのまま宮跡内の前記整備用構内道路に連続していた。事故後一時柵が設けられたことがあるが、通路部分は閉鎖されず、自由に宮跡内への出入りが可能の状態で現在はその柵も取り除かれている。宮跡内はもと田であって、畝なども残っているが、被告の文化財研究所において年二回雑草の刈り取りをしており、本件事故の直前においても同年一二月上旬に刈っている。又、鉄道敷と整備用構内道路との間は、田の跡とはいえ、晴天時には全く湿気はなく、乾燥しているのが普通の状態であり、雨天直後は、やや水はけが悪いのでねかるみが出来る箇所もあるという程度である。更に、事故現場の鉄道敷と宮跡との間には柵など危険な鉄道敷内への人の進入を防ぐ措置は全くなされず、しかも、宮跡と鉄道敷(路盤)との間には、側溝があったようであるが、事故当時は土砂で安全に埋まり、わずか三~一〇センチのみぞが側溝の痕跡を残していたにすぎない。又、路盤の高さは約五〇センチメートルであるが、右側溝とされる部分から徐々に高くなって道床につながっていた。
(三) 平城宮跡は事故当時も今も、県民の憩いの場として、多数の人々が出入りし、整備されていない部分を含め全体が公園という状況にあって、本件事故現場のすぐ近くまで一般市民が日常的に足を向ける状態となっている。その整備されているところからでも本件事故現場まで徒歩で容易に行ける状態である。しかも、同現場の二二〇メートル南側の平城宮跡と住宅内道路との間には何らの柵もなく、住宅地からの出入りも全く自由にできる状態にあった。
(四) 本件事故現場は、極めて見通しの良い所であり、同現場付近の軌道は、西大寺駅に向け、やや右にカーブしているが、鉄柱と鉄柱との間を通して、約五〇〇メートル手前からでも見通しは可能であるとともに、鉄柱の影響を全く受けずに本件事故現場を見通せる距離は、約二五〇メートルである。
3 被告近鉄の責任
(一) 使用者責任
(1) 亡賢治(当時二歳三か月)は、本件事故当日午前一一時頃、その兄晃(当時四歳五か月)と井之尾幸弘(当時三歳一か月)の二人と一緒に、本件事故現場付近の軌道敷内で遊んでいた際、本件事故車が新大宮駅方面から本件事故現場に接近し、同車運転手瀬川義彦が同現場手前一二四メートルの地点に至って子供達を発見し、同地点より更に進行した所で非常制動をかけたため、そのまま事故現場を通過し、晃らは逃げたが、亡賢治は本件事故車にはねられ、その頭部を強打した。
(2) ところで、亡賢治らの服装は色採豊かで土色の背景に比べ発見し易いものであったうえ、本件事故現場は、少なくとも三〇〇から四〇〇メートル手前から見通すことができるところ、普通の電車の運転の場合、四〇〇ないし五〇〇メートル前方を見ているのであるから、普通の注意を払っていれば子供達を発見することは極めて容易であった。従って、瀬川運転手としては、本件事故現場付近の軌道敷がカーブし、鉄柱の存在することを考慮にいれても遅くとも本件事故現場手前二五〇メートルの地点で亡賢治らを発見し得たはずである。そして、仮に、右地点で子供達を発見し、直ちに非常制動をかけ、同時に警笛を吹鳴すれば、本件事故は回避し得た。
(3) 右のような場合、電車運転手としては、運転手として要求される前方注視をなし、少なくとも本件事故現場手前二五〇メートルの地点で子供達を発見し、直ちに非常制動をかけ、同時に警笛を吹鳴すべき義務があるところ、瀬川運転手は、前示のとおり、本件事故現場手前一二四メートルの地点でようやく亡賢治らを発見し、更に進行した地点で非常制動をかけ、しかも警笛も鳴らさずに漫然と進行したもので、同運転手には右注意義務に違反する過失があり、それによって本件事故が発生した。
(4) 従って、本件事故は、被告近鉄の被用者である瀬川運転手が電車運転業務に従事中、前記の過失によって惹起したものであるから、被告近鉄は、民法七一五条に基づき、本件事故に基づく損害の賠償をなすべき責任がある。
(二) 工作物の設置・保存の瑕疵による責任
前記本件事故現場付近の状況によれば、一般公衆が多数来集する平城宮跡と常時電車の往来する近鉄軌道敷との間には、軌道敷内に人が立ち入らないように、何らかの柵ないし囲いをする必要がある。のみならず、地方鉄道建設規定三〇条によれば、頻繁に人が踏み入るおそれがなくとも、単に「踏み入るおそれ」があれば、柵垣の設置が義務づけられている。
従って、被告近鉄は、その所有管理する本件事故現場付近の軌道敷に人が立ち入ることのないよう柵ないし囲い等を設置すべきところ、右柵或いは囲い等が設置されていないこと前記のとおりであるから、右軌道敷は工作物としてその設置ないし保存に瑕疵があったというべきで、従って被告近鉄は、その占有者ないし所有者として、右瑕疵により発生した後記損害を賠償すべき責任がある。
4 被告国の責任
前記本件事故現場の状況によれば、本件事故現場付近の平城宮跡地の所有者である被告国は、同宮跡と同現場付近の軌道敷との間に、同軌道敷内に人が立ち入らないよう柵ないし囲い等設置すべきであるところ、同設備のないこと前叙のとおりであるから、右平城宮跡は公の営造物としてその設置ないし管理に瑕疵があったというべきである。なお、いまだ公の目的に使用されていなくとも、当該場合の具体的事情により、現に公の目的に使用されている物に準ずるものと認められる場合には、「公の営造物」に該当するものと解される。従って、仮に、本件事故現場付近の右平城宮跡がいまだ公の目的に使用されていないとしても、前記本件事故現場の状況によれば、公の目的に使用されている物に準ずるものということができる。従って、被告国は、国家賠償法二条一項により、右瑕疵により発生した後記損害を賠償する責任がある。
5 損害
(一) 慰謝料 金一、三〇〇万円
賢治の突然の死亡によって原告らの精神的苦痛は著しい、又大人たちの社会のちょっとした配慮があれば、賢治は命を落とすことはなかったであろうに、その悔しさ、悲しさは計り知れない。
賢治についての慰謝料は金五〇〇万円、原告両名がこれを相続した。そして原告ら両名の固有の慰謝料は各金四〇〇万円である。仮に賢治の慰謝料について相続が認められない場合は、原告ら両名の固有の慰謝料は各金六五〇万円とする。
(二) 逸失利益 金一一、九九八、九四〇円
(97,500円×12月+111,500円)×(1-0.5)×(1+0.1)×17,024
(三) 医療費 金一〇〇、八三〇円
(四) 葬祭料 金五〇万円
(五) 弁護士費用 金三〇〇万円
合計金 二八、五九九、七七〇円
亡賢治は幼児であり、原告らにも監督不行届きがあったものと思われるが、その過失割合を本件柵の不設置という重大な瑕疵内容との対比において判定すれば、四〇%が相当と思料する。よって、原告らは損害のうち六〇%を請求することとし、被告らに対し、各その二分の一に相当する金八五七万九九三一円及び右金員に対する本件事故発生の翌日である昭和五五年二月二六日より完済まで民事法定利率による年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。
二 請求原因に対する認否
(被告近鉄)
1 請求原因1の事実は認める。但し事故地点は近鉄西大寺駅中心から約六〇五メートルの距離にある。
2 同2の事実のうち
(一) (一)の史跡平城宮趾(正確には特別史跡平城宮跡)を奈良国立文化財研究所が管理するとの点は不知、本件事故現場の約三〇〇メートル東側に大極殿跡の整備された地域があるとの点(右現場の東約三六〇メートルに位置する)、本件事故現場の約一〇〇メートル西側に整備されたグランドがあるとの点(本件事故当時は右グランドは造成中であった)は、いずれも争い、その余は、認める。なお右グランドは現在完成しているが、その周辺は擁壁が築かれ、東側には水路もありグランド以外の非整備地域とは、劃然と区別されている。
(二) (二)の宮跡と近鉄軌道敷との間に柵や囲いがないこと、又本件事故現場の軌道敷と宮跡との間に柵等がないこと、宮跡内でもと田で畝も残り、文化財研究所において年二回雑草の刈り取りがなされていることは、いずれも認める。
(三) (三)の平城宮跡は多数の人々が出入りし整備されていない部分を含め全体が公園という状況にあり、本件事故現場のすぐ近くまで一般市民が日常的に足を向ける状態となっているとの点は争う。一般市民が見学などで出入するのはいわゆる整備地域だけであり、近鉄奈良線の線路はこれら地域から遠く離れている。
(四) (四)の本件事故現場が見通しのよいところであること、及び本件事故現場付近の軌道が、西大寺駅に向け、やや右にカーブしていることは認め、その余は争う。
3 同3の事実のうち
(一) (一)の(1)の亡賢治が原告らの次男で、本件事故当時二歳三か月であったこと、子供らが軌道敷内で遊んでいたこと、二人の子供は逃げたが、亡賢治が本件事故車と衝突して頭を強打したことは、いずれも認め、瀬川運転手が本件事故現場手前一二四メートルの地点で子供らを発見し、更に進行した所で非常制動をかけたことは争う。本件事故現場手前一二四メートルの地点で非常制動をかけたものである。
同(2)及び(3)の各事実は争う。
同(4)の瀬川運転手が被告近鉄の被用者であることは認め、その余は争う。
(二) (二)の主張の柵或は囲い等が設置されていないことは認め、その余は争う。
4 同5の事実は争う。
(被告国)
1 同1の事実のうち、原告義雄が亡賢治の父で原告裕子がその母であること、亡賢治が昭和五五年二月二五日午前中に、奈良市内の新大宮駅、西大寺駅間の近鉄軌道敷内において、奈良発難波行の電車にはねられて負傷し、翌二六日午前八時二五分ころ、堺市向陵中町医療法人清恵会病院で死亡したことは認め、その余は不知。
2 同2のうち
(一) (一)の近鉄奈良線西大寺駅と新大宮駅との間に特別史跡平城宮跡のうち、被告国が所有する地域が存在していること、この地域の南部をほぼ東西に近鉄軌道敷(土地所有者は近鉄)が設置されていること、はいずれも認める。
なお、平城宮跡の国有財産としての管理者は文部大臣である。
(二) (二)の住宅地と平城宮跡及び同宮跡と近鉄軌道敷との間には柵も囲いもないこと、宮跡内がもと田で畝も残り、文化財研究所において年二回雑草の刈り取りをしていることは認める。
(三) (三)は争う。
平城宮跡の総面積は、昭和五五年三月三一日現在で、約一三〇ヘクタールであるが、そのうち国有地として買収した面積は、約九九ヘクタールで、一般に見学等に利用され得る部分の面積は約二二ヘクタールであって、平城宮跡の面積のわずか約一七パーセント弱にすぎない。
4 同4及び5の各事実は争う。
三 被告らの主張
(被告近鉄)
1 本件事故現場及び周囲の状況
本件事故現場は、近鉄奈良線新大宮駅中心から西方約一・七四キロメートル(同西大寺駅中心から約一キロメートル東方)軌道敷内(上り線側)で、右軌道は、新大宮駅中心から西へ約一・六キロメートルの地点から約四〇〇メートルの間が、曲線半径一〇〇六メートルのゆるい曲線となっているが、見通しは良く、本件事故現場から西方約四三〇メートルの地点には県道奈良乾谷線が、又東方約三五〇メートルの地点には奈良市道が、その更に東方約四五〇メートルの地点には国道二四号線が、それぞれ右奈良線を南北に縦断しているが(前二者には踏切―西大寺第一号踏切、西大寺第二号踏切―が設置され、国道二四号線は陸橋となっている。)、西方は右奈良乾谷線附近まで、東方は国道二四号線の更に東方約三五〇メートル附近まで、軌道敷に隣接する人家はない。又事故現場から北方にかけては、約六〇〇メートル附近まで、南方にかけては約二〇〇メートル附近までいずれも人家はない。そして、本件事故現場より西へ約三八〇メートル、東へ約七六〇メートルの間の軌道敷の両側(南北)は特別史跡平城宮跡として指定されているところ、右宮跡のうち朝堂院・内裏地区は整備されて三方が樹木で囲まれ、人が見学などの目的で出入りするけれども、本件事故現場附近一帯は、雑草の繁茂する荒地のまゝで放置され通常、人が通行することはない。なお右整備箇所と本件事故現場との距離は最も近いところで約三五〇メートルある。なお、本件事故現場附近の軌道敷は幅約一〇・六メートル、両側下部に側溝が存し、約四〇センチメートル(上り線側)乃至約三〇センチメートル(下り線側)の高さの路盤の上に更に四五センチメートル(上り線側)乃至四九センチメートル(下り線側)の高さの道床(幅約八・六メートル)が設けられ、その上部に枕木・レール(複線)が敷設されている。右路盤の両端の、道床が置かれていない、空地部分を通称犬走りと呼ぶが、この附近では、両側の犬走りにおうむね四五メートル間隔で、コンクリート基礎の鉄柱が建てられ、その上方には線路を横断して上下二本のトランスが設置され、これら鉄柱には電車線、吊架線、電話線、通信線、き電線、信号高圧線、動力高圧線、特別高圧線が架設され、そのような構造を持つ工作物として周囲の地形から劃然と区別されている。
2 瀬川運転士の過失の不存在
瀬川運転士は、昭和五五年二月二五日、本件電車(午前一一時二一分奈良発難波行準急)を運転して、新大宮駅を定刻の午前一一時二三分発車し、時速八五乃至八六キロメートルに達した時点で、ノッチ(主管制御器)をオフにし惰行運転中、本件事故地点の手前一二四メートルの地点で前方線路敷に子供が二人(河本晃外)立ち上ったのを認めたので直ぐ非常制動をかけ、短急警笛を鳴らし続けた。その直後もう一人の子供すなわち亡賢治が道床の斜面で伏せているのを認めたが、同人はそのまゝ退避しなかったので同電車の排除器左下部と接触し、同電車は接触後九六・五メートル進行して停止した。ところで、瀬川運転士が亡賢治を認めた時の、同人の状態は、枕木の端の方に頭を伏せ、体を道床の斜面に伏せている姿が頭から脊中にかけて見えたが、ただ方向がこちらの電車の方に向いていたので足までは見えなかったもので、前記晃外一人も立ち上るまではこのような姿勢で線路敷に伏せていたと推認される。言うまでもなく電車は高速で運転されているから運転士が前方線路敷上の人や物を発見することの出来る距離はその位置や姿勢の僅かな違いによって甚だしく違ってくるものであり、本件現場は、西大寺方向に向ってゆるく右カーブし、前記のように子供たちはカーブの外側の斜面にぴったりと伏せた状態にあったためその発見は容易でなかったのである。すなわち、電車・汽車などによる交通の特色は、これらの車輌は一定の線路上だけを運行する点にあることは言うまでもないが、運転士は運転中列車の状態に異常がないか注意すると共に前方の信号、合図、標識、踏切道、線路の状態を常に注視していなければならない。例えば新大宮、西大寺間について言えばその運転時間は二分三五秒であるがこの間信号は七ケ所、主な標識が六ケ所、踏切道は四ケ所(それぞれに動作反応灯)存し、運転士はこれらの状況及び線路の状態を全体として、次々に注視しその安全を遠方から確認しつつ、而も高速で定時運転を行うのである。従って運転中前方注視を怠たるなどあり得ない。
以上の次第であって、瀬川運転士が亡賢治に気付くのがおくれブレーキをかけるのがおそくなったとの原告の主張は何ら根拠がなく同運転士に過失はない。
本件事故の遠因は、法令上も違法であり、社会常識上も危険であることが明らかな、線路敷内への子供らの立入りを放任した監督義務者原告らの過失にあることは言うまでもないが、直接の原因は、線路敷内に立入り且電車の接近に気付きながら退避しなかった亡賢治の所為(仮に同人に事理弁識能力がなかったとするならば、原告らの代監督義務者に当る前記晃の亡賢治を退避させなかった所為)に基づくと言うべきである。
すなわち、前述のように本件事故現場付近は極めて見通しの良い場所であって、線路敷内から、電車の接近して来ることは早くから認めることが出来、又その進行に伴なう音、振動などによっても同様これを察知することが出来る。この点は、前記晃外一名は短急警笛が吹鳴される以前に線路敷から立ち上っていることからも疑いない。しかも電車は定まったレール上しか走行しないのであるから、一瞬の退避動作によって確実に電車との接触を避け得ることは明らかであって、本件事故の場合も、その接近に子供たちが気付いてから退避し又は退避させるための時間は充分に存し、危険を回避することは可能であったと思われるのである。
3 工作物設置・保存に関する瑕疵の存否
本来、鉄道用地内への立入りは法によって禁止され(鉄道営業法三七条、四二条一項三号)、何人も―事理弁識能力のない者についてはその監督義務者が―これを順守することが要請されている。従って踏切道でない線路敷は、人の立入り防止の保安設備がないからと言って、「その物が本来具えているべき性質又は設備を欠く」ことには当然には該当しない。たゞ軌道施設が人口密集地域にあり且附近の状況から人の立ち入りが充分予測されるなど、当該具体的諸条件にてらして、保安設備を欠くことが、鉄道事業者の危険防止のための作為義務違反とされるような場合に限り、例外的に前記設置・保存上の瑕疵とされることがあるに過ぎないのである。しかるところ、本件事故現場は、東方は約六八〇メートルへだたった国道二四号線の更に東約三五〇メートル付近まで、西方は約四〇〇メートルへだたった県道奈良乾谷線付近まで、北方は約六〇〇メートル付近まで、南方は約二〇〇メートル付近まで線路敷に隣接する人家はない。又、同現場は、広大な、特別史跡平城宮跡の一部であり同現場より東へ約七六〇メートル西へ約三八〇メートルの範囲内の線路敷も又右史跡に含まれている。奈良国立文化財研究所では右宮跡のほゞ全体を一日四回巡回し、宮跡内に異常がないかどうか看視している。更に、同現場付近一帯は、国が一般来訪者の立入りを認めている整備区域から遠く離れており(事故当時造成中であったグランドの東端からも約一〇〇メートル)、然も地表は凹凸が多く雑草が繁茂し、水路が縦横に存する湿地帯であって、通常、人の立入る場所ではない。現に、同現場付近の近鉄線は、大正三年頃より現在と同じ位置にあるがこの付近でかつて鉄道事故が発生したことはない。そもそも、同現場付近の線路敷及びその施設の状況は既に述べた通り周囲の地形から劃然と区別されていて、同現場付近からは東方に向っても、西方に向っても線路敷周辺にさしたる障害物は存しないから、電車の接近を早く知ることが出来、容易に危険を回避し得るのである。
以上のように本件事故現場付近の線路敷は人の立入りが全く予想されない場所であって、かような場所に立入り防止の柵や囲いを設けないからと言って被告に危険防止のための作為義務違反があるとは到底考えられない。我が国鉄道経営の一般的基準にてらしてもそうである。
(被告国)
1 本件事故現場付近の被告国所有土地の公の営造物性
平城宮跡内の国有地は、国有財産法三条二項一号で定める行政財産のうちの公用財産に該当するが、同法五条により文部大臣がこれを管理している。平城宮跡地内では奈良国立文化財研究所が、文部省設置法施行規則一二八条により発掘調査、研究、整備等の事業を行っている。そして、その発掘面積は、昭和五四年度末で約二八万四〇〇〇平方メートルであるが、これの特別史跡指定地面積に対する割合は、約二二パーセントにすぎない。
本件事故現場付近の被告国所有の土地は、未だ発掘調査には着手されておらず、荒蕪地のままで放置された状態にある。
一方、昭和五四年度末における整備済みの地域の面積は、約二二万平方メートルであって、平城宮跡地全体の一七パーセント弱を占め、資料館周辺地区には、資料館、駐車場の設置、張芝、樹木の植栽等の整備が実施され、これらの地域は、古代都城文化を実地に見学できる場として一般に公開されている。その他の未整備地域については、一般に公開されておらず、また雑草が繁茂する湿地帯であるために通常、人の立入ることが予想される地域ではない。
本件事故現場付近の被告国所有の土地は、行政財産としての特別史跡指定地域に含まれているが、以上述べたように発掘調査、整備事業等は一切行なわれていない未整備地域として一般に公開されておらず、また、現に人の立入りのできる状態にもない荒蕪地である。
従って、国家賠償法二条一項にいう公の営造物とは、直接に公の目的に供されているものと解され、本件事故現場付近の地域は、公の目的に供されている事実はないので公の営造物に該当しない。
2 公の営造物の設置又は管理に関する瑕疵の存否
そもそも国家賠償法二条一項にいう公の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいうものと解されている。
ここにいう通常有すべき安全性を保持するためには、一般的には、当該営造物の構造、用途、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を考慮して、具体的に通常予想され得る危険性の発生を防止するに足ると認められる程度のものを必要としかつ、これをもって足るものというべきであって、およそ想像し得るあらゆる危険の発生を防止し得る設備を要するものではない。つまり、右にいう通常有すべき安全性とは、営造物本来の用法に則して利用することを前提とするものであって、営造物設置管理者の予想を越える行動に起因する事故についてまでも営造物管理の責任を負うものではない。すなわち、本件事故現場付近の被告国所有の土地は、かつて水田であったものを昭和三八年から昭和三九年にかけて被告国が買収したものである。その後は何ら手がつけ加えられていないために、現在も田の畔、畝、大型草刈機の轍の跡などが残され、地表は凹凸が多く、しかも大小の水路や溝が縦横に走っている荒地となっている。この地域は夏期には、カヤ、セイタカアワダチ草等の雑草が、大人の背丈以上(約一・五から二メートル)に繁茂し、蛇(まむし)が生息する湿地帯である。このため、奈良国立文化財研究所は、毎年七月から一一月の間で二回にわたり、この地域の草刈りをしている。冬期間には雑草に刈り倒されて見通しはよくなっているとはいえ、雑草の根株は残り、また依然としてこの地域は湿地の状態であるために、人の立入りは考えられない所である。
本件事故現場は、平城宮跡の南部をほゞ東西に横切る近鉄奈良線の西大寺駅より東方約一キロメートルの地点に位置する。本件事故現場は、一般人の通行の用に供されている最寄りの道路(平城宮跡の南端に位置する道路である。)から直線距離にして約二二〇メートル離れたところにある。なお、本件事故現場の北側約三〇メートルのところには、整備用構内道路が東西に走っているが、同道路は奈良国立文化財研究所専用の道路である。
また、本件事故現場の南側約一六〇メートルのところには水田であった当時に使用されていた農業用水路(幅約一・二メートル、深さ約一メートル)が近鉄線と平行して東西に走り、更にその南約六〇メートルのところには、コンクリート製の農業用水路(幅約一メートル、深さ約一メートル)がある。
以上のとおり本件事故現場付近の被告国所有の土地は、水田跡の荒蕪地であって、一般の人が立入るような状態にはない。そのために本件事故現場付近に、人ことに幼児が立入るということは、管理者において通常予測できないことであるから、被告国において、本件事故現場に立入るのを防止するための柵を設置しなかったものの当該地域は通常備えるべき安全性を具備していたものといえる。
3 過失相殺
本件被害者の両親である原告らは、本件事故現場である近鉄奈良線軌道敷上から直線にして約四九〇メートル、道のりにして約六四〇メートル離れたところに居住している。そこで電車に興味をもつ年令の幼児をもつ親らは、子供が親ないし年長者の同伴なしに軌道敷へ接近しないように日頃から言い聞かせておくことはもちろんのこと、幼ない子供の行動を常に監視し、これを保護する注意義務を負っているというべきである。しかるに、本件事故時に幼児のまわりに両親ないし年長者が同伴していなかった事実が物語るように、原告らは平素から幼児である被害者に対する監視を怠ったために、被害者は電車に対する興味本位から敢えて危険な軌道敷内に立入り、その結果本件事故に遭遇したのであるが、これは専ら原告らの重大な過失に起因する事故というべきである。
仮に本件において、被告国が国家賠償法二条一項の責任を負うとすれば、被告国は過失相殺の主張をする。
第三証拠関係《省略》
理由
第一事故の発生
原告両名の実子であった亡賢治が昭和五五年二月二五日午前中、奈良市内の新大宮駅・西大寺駅間の近鉄軌道敷内において、奈良発難波行の電車にはねられて負傷し、翌二六日午前八時二五分頃、堺市向陵中町医療法人清恵会病院で死亡したことは、各当事者間において争いがなきところ、《証拠省略》によれば、被告近鉄の電車運転手瀬川義彦は、本件事故車である奈良駅発難波行準急電車一一五二列車(四輌編成)を運転し、同月二五日午前一一時二三分頃新大宮駅を出発し、同二五分頃、本件事故現場である新大宮駅から一・七四キロメートルの地点に達したとき本件衝突事故が発生したこと、亡賢治が頭蓋骨多発性骨折の重傷を負い、その結果脳挫傷を直接の死因として死亡したものであることが認められ(但し、亡賢治の受傷の部位、程度及び死因については、原告両名と被告近鉄との間では争いがない)、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
第二本件事故現場及びその付近の状況
近鉄奈良線西大寺駅と新大宮駅間に被告国が所有する史跡平城宮跡が存在し、右近鉄線が平城宮跡の南部をほぼ横切るような形で設置されていること、住宅地と平城宮跡及び同宮跡と近鉄軌道敷との間に柵等の右軌道敷内に人が立ち入ることを防止するための設備のないこと、宮跡内がもと田で畝も残り、雑草が生え、被告国の文化財研究所において、年二回雑草の刈り取りがなされていることは、各当事者間において争がないところ、《証拠省略》によれば、近鉄奈良線新大宮駅・西大寺駅間の線路の距離は二・三七九キロメートルであり、その間の準急の予定所要時間は二分三五秒、又その間に信号は七個、標識の主なものは五・六個、踏切道四個が設置されていること、新大宮駅中心から西へ約一・六キロメートルの地点から本件事故現場を通過する約四〇〇メートルの間でその進行方向に向って、右側に曲線半径一〇〇六メートルの緩い曲線となっていること(右線路部分が緩い曲線となっていることは各当事者間に争いがない)、本件事故現場から軌道上約四三〇メートル西方の地点で県道奈良乾谷線と、又、約三五〇メートル東方の地点で奈良市道と、更に、約四五〇メートル東方の地点で国道二四号線とそれぞれ交差し、本件事故現場の西方は右奈良乾谷線付近、東方は国道二四号線の更に東方約三五〇メートル付近、北方は約六〇〇メートル付近、南方は約二〇〇メートル付近まで、いずれも人家がないこと、本件事故現場から西へ約三八〇メートル、東へ約七二五メートルの軌道敷の南北両側は、特別史跡平城宮跡として指定され(軌道敷の南北両側が特別史跡平城宮跡として指定されていることは、前示のとおり、各当事者間に争いがない)、昭和五五年三月末現在、約二八万四〇〇〇平方メートルが発掘調査され、それによって発掘された遺構を土壇や芝張等により区画、表示し、或いは周辺に砂利を敷き、植木を植える等して整備した土地が約二二万平方メートルあり、右整備地区は人が自由に出入りし、見学等が出来るようにされているが、本件事故現場付近一帯の土地は水田を買収したままで、畦・水路が残り雑草の繁茂する未整備の荒地で、人が出入りすることは予定されず、実際上もほとんど人の出入りがないこと、殊に、本件事故現場は、右整備地区からも相当距離を隔てているため、人の出入りはなく、従前、同所付近において列車と人との衝突事故があったとの報告はないこと、ただ、毎年七月から一一月にかけ年二回草刈りが通常実施されているところ、本件事故当時では昭和五四年一二月上旬に行われていること、従って、右草刈り後と冬期においては、本件事故現場を含む相当広範囲にわたる平城宮跡の全体的な見通しは良好であること(年二回草刈りがなされ、全体的な見通しが良好なことは各当事者間に争いがない)、本件事故現場付近の軌道敷は、西大寺駅に至る上り線、新大宮に至る下り線の復線で、前示のとおり西大寺駅に向け右にカーブしているため、軌道敷全体が西大寺駅に向け右側が低く、左側が高くなっていること、右軌道敷の構造としては、その巾が、約一〇、六メートルあり、その両側下部に深さ約三ないし一〇センチメートルの側溝があり、その側溝の内側に上り線側で高さ約四〇センチメートル、下り線側で約三〇センチメートルの路盤があり、それを基礎として、その上に上り線側で高さ約四五センチメートル、下り線側で約四九センチメートルの道床があり、更にその上に枕木レールが設置されたものであること、又、右側溝の更に外側の空地部分に当る犬走り部分にほぼ四五メートル間隔でコンクリートを基礎にした各種高圧線が架設された鉄柱が建てられ、そして、平城宮跡との境界として埋込まれたコンクリート杭が右鉄柱の外側端線上に沿って点在し、本件事故現場西方約四メートルの地点にも鉄柱(以下、二六号柱という)が存在すること、なお本件事故当時右二六号柱の南側鉄柱の軌道敷と平行する線上東方数メートルの間にほぼ大人の背丈ほどの雑草が生え残り、本件軌道上を西大寺駅に向け電車を進行させ、運転者が運転席から本件事故現場付近を遠くから見た場合、前記のとおり軌道敷全体が、殊に南側において高くなっていることと相俟って、大人の背丈ほどの右雑草と南側の二六号柱を背景とするため、本件事故現場である南側道床部の見通しが極めて悪いことがそれぞれ認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
第三被告らの責任
一 被告近鉄
1 使用者責任
(一) 本件事故の状況
前掲各証拠によれば、本件事故当日、瀬川運転手は、新大宮駅午前一一時二三分発の本件事故車を運転し、時速約八五キロメートルで同駅から約七〇〇メートルの地点を通過した際、同地点より更に一〇〇メートル先の地点にノッチ(主管制御器)をオフ(電流ストップ)にする旨の標識が設置されているものの、当時乗客の乗降が少なく運転時間調整のため、一〇〇メートル早めてノッチをオフにし、そのまま惰力で走行中、時速七〇キロメートルで本件事故現場手前約一二四メートルの地点に至るその直前、同現場において二人の子供(うち一人は亡賢治の兄晃)が立ち上がるのを発見し、右一二四メートルの地点で直ちに非常制動をかけ、短急警笛を鳴らし続けたこと、その直後、本件事故現場である南側道床に枕木の南端に頭を向け、身動きもせず伏せている亡賢治の頭部から背中にかけての姿を発見したこと、しかし、本件事故車は、そのまま同現場を通過し、同車最前部の排障器左下部に亡賢治の頭部が接触し、同現場から九六・五メートル先の地点に本件事故車が停止したこと(亡賢治が二人の子供と軌道敷内にいたこと、二人の子供が逃げたこと、瀬川運転手が本件事故現場手前一二四メートルの地点付近で非常制動をかけたが、亡賢治の頭部と本件事故車とが衝突したことは、原告らと被告近鉄との間で争いがない)が認められ(る。)《証拠判断省略》。
(二) 非常制動による本件事故回避のための最少限必要な制動距離
《証拠省略》によれば、原告ら主張の如く、仮に、本件事故現場より二五〇メートル手前の地点(以下、単に二五〇メートル地点という)において、瀬川運転手が子供達を発見して危険を感知し、非常制動をかけたとした場合、本件事故車の同地点での時速は、七四か七五キロメートル、その非常制動距離は、時速七四キロメートルでは、約二四四・六四メートル、時速七五キロメートルでは、約二五〇・八九メートル、又運転手が子供達を発見して危険を感知してから非常制動に移る経過時間は(本件事故車が二五〇メートル地点に至った際の子供達は本件事故現場に伏せている状態であること後記のとおりであるところから、その存在を発見し、非常制動をかけるべきか否かの判断に要する時間は、対象物件の存在を知ることによって直ちに危険を感知し得る場合よりも危険を感知する時間が若干長くなることを考慮し)一秒で、その間に走行する距離は、時速七四キロメートルでは約二〇・五五メートル、時速七五キロメートルでは約二〇・八三メートルで、結局、本件事故車は二五〇メートル地点から約二六五・一九メートルないし約二七一・七二メートル先において停止することになること、従って、本件事故車は本件事故現場を通過し、同現場より少なくとも一五メートル先まで進行することになるため、亡賢治との衝突は避けられず、しかもその衝撃により本件事故を避け得ないことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。右事実によれば、本件事故車が非常制動をかけることによって本件事故を回避するには、右二五〇メートル地点の手前(どの程度手前であることを要するかは証拠上確定し難いが)において、瀬川運転手において軌道敷上の子供達の存在に気付き得ることが必要となることになる。
(三) 亡賢治らの発見可能な距離
前掲各証拠によれば、本件におけるように全体的な見通しが良い場所を電車が時速八〇キロメートル前後の速度で走行する際の運転者の視点は、前方四〇〇メートル前後に置かれていることが認められるところ、そのように視点を遠方に置いた場合、視野は広くなるが、それと反比例して視野内の映像の明瞭度は、低くなること、殊に、右映像中、運転者の関心の薄い部分については一層それが助長されることは経験則上明らかである。しかるところ、電車運転者が前方を注視する際、関心を持って見るものはいうまでもなく運行の安全に係る事柄で、それは当該具体的状況によって変化するところ、本件事故現場付近の状況から、同現場である南側道床付近に人が伏せている等とは通常予想し得ないこと前叙のとおりであり、従って、同現場付近を遠くから注視する場合、他に特段の関心を持ち得ない右南側道床付近の映像は極めて不明確なものとならざるを得ない。のみならず、同現場付近の軌道は緩い曲線を描き、その軌道敷全体が隣接地より高く、しかも北側より南側がより高くなっていることから、遠くから本件事故現場付近を見た場合、同現場である南側道床付近の見通しは極めて悪いうえ、同所付近の背後には大人の背丈程の雑草と鉄柱があり、それを背景とするため、その手前にあたる南側道床付近に存在するものを遠くから識別することは困難であること前示のとおりである。更に又、前掲証人瀬川義彦の証言により認められる昭和五五年二月二五日司法警察員が実施(実施日は前掲甲第一二号証による)した本件事故に関する実況見分の際の実験によると、黄色のヘルメットを高さ四〇ないし五〇センチメートルの棒上にのせ、それを本件事故現場の南側道床の端に立て、本件と同じ走行方法により進行する電車の運転席から注視した場合、右棒のある地点より二五〇メートル手前(前示二五〇メートル地点に相当する)でその存在を発見し得たとされる。しかし、同実験は、右棒上のヘルメットとの存在と位置を予め知ったうえ電車がそれにどの程度接近した時にその存在を発見し得るかを確かめるもので、子供達の存在を知らず、通常予想もできない本件事故の場合とはその条件が異るうえ、同実験では四〇ないし五〇センチメートルの棒上のヘルメットを対象にするものであるが、前叙の本件事故の状況によれば、本件事故車が二五〇メートル地点に至った時点においても、子供達は本件事故現場である南側道床付近で身を伏せていたと推認され(この点、原告らは遊んでいる子供がじっと伏せていることはない旨主張するが、前認定のとおり、瀬川運転手が子供達を発見したのは彼等のうちの二人が立ち上がったからであるから、それ以前においては身を伏せていたことが明らかであるし、そのような場所で、他にそうする必要の考えられない三人の子供達が身を伏せているということは、既にそれ以前に本件事故車の存在を知り同所で本件事故車から身を隠している積りでいたものが、一層接近する本件事故車に恐怖を感じた二人が立ち上がって逃げ、一方、亡賢治は恐怖のためむしろ身を動かすことができなかったものと推認し得るとともに、瀬川運転手が子供達を発見したのは本件事故現場手前一二四メートルの地点に至る直前であること、又、二五〇メートル地点で本件事故車の速度が時速七四か七五キロメートルであること前示のとおりであるから、前示各証拠によると、二五〇メートル地点から右発見地点に本件事故車が到達するのに要する時間は、五ないし六秒間であることが認められ、従って、本件事故車が二五〇メートル地点に至った際にも子供達は伏せていたと推認しても不合理ではないというべきであり、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。)立っている棒上のヘルメットとは存在する状況が著しく異る。しかしながら、右実験は、その存在と位置を予め知っている右のような棒上のヘルメットを発見するにも、その手前二五〇メートルまで接近する必要のあることを示すものであるから、その反面において、その存在を知らないばかりか、通常予想もできず、しかも前叙のとおり発見困難な状況下において伏せている子供達を発見するには、二五〇メートルより更に本件事故現場に接近する必要のあることを示すものといい得る。それ等諸事情を綜合考慮すると、瀬川運転手としては、電車運転者として通常要求される前方注視を尽くしても、右二五〇メートル地点において子供達を発見することはできず、右の子供達を発見するには、本件における如く瀬川運転手が実際に子供達を発見した前示地点か、或いは少なくとも同地点に相当近い地点(その具体的な距離は確定し得ないが)にまで接近することが必要であると認めるのが相当であ(る。)《証拠判断省略》。
(四) 瀬川運転手の過失の有無
以上のとおり、二五〇メートル地点で瀬川運転者が子供達を発見して危険を感知し、非常制動をかけても、本件事故は回避し得ず、しかも、電車運転者として通常要求される前方注視を尽くしても、右二五〇メートル地点において同運転手が子供達を発見することはできないことからすると、同運転手としては、本件事故車を運転中、非常制動をかけることによって本件事故である亡賢治との衝突を回避する可能性はなかったものといわざるを得ず、前示のとおり、同運転手が本件事故現場手前一二四メートルの直前に至って亡賢治を発見し、右地点で非常制動をかけた措置をもって前方注視義務の懈怠があったとすることはできない。
しかるところ、本件において、瀬川運転手が本件事故を回避するため、他にとり得る手段としては、警笛を吹鳴し、本件事故車の存在を子供達に知らせ、同人らをして軌道敷から退避させるか、或いは電車と接触しない位置に身体を保持させるかのほかないものというべきであるところ、瀬川運転手が本件事故現場の手前一二四メートルの地点に至って子供らを発見するや、直ちに非常制動の措置をとるとともに短急警笛を鳴らし続けたことは前叙認定のとおりであるから、その点についても、注意義務の懈怠はなかったものといわざるを得ない。もっとも、右警笛吹鳴の点につき、原告河本義雄の本人尋問の結果中には、本件事故直前に本件事故現場を離れた亡賢治の実兄である晃がその当時警笛を聞いていない旨述べているとする部分がある。しかし、仮に、右晃がそのように述べているとしても、同人は警笛が鳴らされたとされる以前において既に本件事故車に気付き、接近する同車に危険を感じて立ち上がり軌道敷から逃げ出したものであること前示のとおりであり、同人としては危険から逃げるための緊張を強いられる状況下にあったうえ、その直後、実弟が電車と衝突するという極めて衝撃的な事故に直面していることを思えば、警笛が鳴っていたにもかかわらず、そのことが晃の記憶から消失していても何んら不自然なことではなく、右証言部分をもってしても、前叙の認定を何んら左右するものではない。のみならず、前示事故の状況によれば、瀬川運転手が子供達の存在に気付いた際には、その時点で非常制動をかけても子供達の手前で停止し得る余地はなく、彼等との接触事故を避けるには警笛を鳴らし、本件事故車の接近を警告して彼等をして接触を回避する行動をなさしめるほかに手段がないことは、運転者として直ちに察知し得たであろうと推認されるのであり、更に、前掲各証拠によれば、進路前方に何んらかの危険があり、それを回避するためなす非常制動と警笛の吹鳴は、同時になす一連の行動として運転者が訓練されていることが認められるのであるから、瀬川運転手が警笛の吹鳴を怠っていたとは到底考えられず、この点に関する前掲証人瀬川義彦の証言部分は充分措信し得るというべきである。従って、警笛吹鳴の点に関しても瀬川運転手に落度はないものといわざるを得ない。
そして、他に、瀬川運転手が本件事故車を運転するに当り、運転手として過失があったと肯認するに足る証拠はない。
(五) 使用者責任の存否
瀬川運転手が被告近鉄の被用者であることは当事者間に争いがない。
ところで、使用者が被用者の加害行為について責任を負うのは、被用者の行為が不法行為としてのすべての要件を備える場合でなければならないと解されているところ、瀬川運転手の本件事故車の運転行為について過失が存したと認め難いこと前叙のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく瀬川運転手の所為について不法行為が成立しないことは明らかといわねばならない。
そうすると、被用者である瀬川運転手の所為につき、被告近鉄に対し、使用者としての責任を問う原告らの主張は、その余の点に言及するまでもなく失当であるというほかない。
2 工作物設置・保存の瑕疵の有無
本件事故が、被告近鉄が所有する土地上に存する奈良線の電車軌道敷内において発生したものであること、本件事故現場付近の軌道敷には人の立ち入りを防止するための柵などの設備のないことは、前示のとおりである。ところで人の立ち入りが禁止され(鉄道営業法三七条、四二条一項三号)、人の立ち入りが本来予定されていない電車軌道敷にあっても、当該軌道敷の構造、場所的環境、周辺地域の利用状況等、諸般の具体的な事情を考慮して、通常予測され得る危険につき、その発生を防ぐための保安設備を欠く場合には、その種の工作物として通常備えるべき安全性を欠いているものとして、民法七一七条二項の「瑕疵」があるものと解すべきであるが、右予測の範囲を超えて、およそ考え得るあらゆる危険の発生を防止し得るに足る保安設備を要するものと解すべきではない。
これを本件についてみるに、本件事故現場付近の軌道敷は、前叙(第二、本件事故現場及びその付近の状況)認定のとおり、その構造・形状等に徴すると、工作物としての使用目的や右軌道敷と隣接地との区別は一見して明白である一方、同現場付近一帯は、特別史跡平城宮跡として指定されているものの、同宮跡中の整備地とは異り、前叙認定のとおり相当広範囲にわたって人家がなく、もと田として畦や水路の跡が残り、雑草が繁茂する未整備な荒地の状態となっており、人が往来するような場所として予定されたものとは見られず、実際上も人が立ち入ることは殆んどなく、又仮に、人が軌道敷近くまで立ち入ることがあっても、線路に対する全体的な見通しは良好であるため、接近する電車がある場合には、それを知ることは極めて容易であるとともに、万が一、近くに電車が接近してもその危険から回避することも極めて容易であると推認される。現に、本件事故現場付近において過去に電車と人との衝突事故があったとの報告がないこと前叙のとおりである。そして、前掲証人河手禧男によれば、被告近鉄において右軌道敷上を三日に一度歩いて巡回点検し、更に二日に一度走行する電車の運転席の横から点検していることが認められるのであり、以上の事実を綜合すると、本件事故現場付近の軌道敷については、人の立ち入りを防止する柵などの設備が設置されていないからといって、右軌道敷の設置及び管理に瑕疵があるとはいえない。しかして、本件事故は、専ら右軌道敷の設置・管理者である被告近鉄において通常予測し得ない亡賢治の行動に起因するものであったといわざるを得ない。
原告らの軌道敷の瑕疵に関する主張は理由がない。
二 被告国
(一) 被告国が特別史跡平城宮跡を所有していること、及び平城宮跡を南北に二分する形でほゞ東西に被告近鉄の奈良線の軌道が走っていることは、当事者間に争いがない。
そして、本件事故現場である右軌道敷の周辺における平城宮跡内の状況は前叙認定のとおりである。
ところで、平城宮跡は、文化財保護法第六九条により、その保存と活用を図る目的で特別史跡に指定されたものであるけれども、右認定事実によると、平城宮跡のうち本件事故現場の軌道敷周辺の地域は、本件当時、未だ発掘調査も行われず、荒蕪地状を呈し、公共の用に供し、一般住民の利用に供するための施設や整備もなされていないことが認められるから、前記軌道敷周辺の非整備地域は直接に公の目的に供されているものとは言い難く、従って公の営造物に該るものとは断じ難い。
(二) 被告国所有の平城宮跡から本件事故現場付近の被告近鉄軌道敷内へ人が立ち入ることを防止する設備がなされていないこと前示のとおりである。しかしながら、国家賠償法二条一項にいう「営造物の設置又は管理の瑕疵」とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいうものと解されるところ、前叙認定の如き平城宮跡地の構造、通常の用法、場所的環境及び利用状況等に徴すると、本件事故現場の軌道敷周辺地域は、当時、未整備の荒蕪地状を呈し、同所へ人が往来することは殆んどなく、まして平城宮跡地から右軌道敷内へ接近し、あるいは侵入する人は極めて稀な状況であったものであり、平城宮跡と軌道敷との間に危険防止のための柵などを設ける必要性はなかったものというべく、しかも本件事故が専ら亡賢治の通常予測し難い行動の結果に帰因するものであること前示のとおりであり、又、前掲証人三森武雄の証言によれば、被告国の機関である奈良国立文化財研究所の職員において、平城宮跡地の全域にわたり、一日数回、巡回して警備し、本件事故当日も事故前、午前九時過ぎ、午後二時前、そして同四時半にそれぞれ巡回していることが認められるのである。それ等事実を総合すると、前記軌道敷の隣接地である特別史跡平城宮跡と指定された被告国の所有地については、右軌道敷に人が立ち入ることを防止する柵などの設備がないからといって、営造物として本来具有すべき安全性に欠けるところはなく、設置及び管理に瑕疵があったとは到底いえないものというべきである。従って、その余の点に言及するまでもなく、被告国に対する原告らの主張は理由がない。
第四結論
よって、被告両名に対する原告らの本訴各請求は、その余の点の判断をなすまでもなく、すべて理由がないから、いずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九三条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 諸富吉嗣 裁判官山田賢、同中村哲は、転任のため署名、捺印することは出来ない。裁判長裁判官 諸富吉嗣)